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2024-25 20周年アニバーサリーシーズン 歴史に新たなページが開いた



 

新たなヘッドコーチに藤田弘輝が就任
今野GMは新しいカルチャー作りを彼に託した

記念すべき20周年シーズンに指揮を執ったのは、藤田弘輝ヘッドコーチ(HC)。2014年に福島ファイヤーボンズでHCのキャリアをスタートさせ、三遠ネオフェニックス、琉球ゴールデンキングスを経て、前季まで率いていた仙台89ERSでは就任初年度にチームをB1昇格に導いていた。藤田HCに白羽の矢を立てた理由を、今野翔太ゼネラルマネージャー(GM)はこう語った。

「(琉球時代に連覇するなど)これまでに彼が残してきた成績が物語っています。B2だった仙台も、1シーズンでB1に上げました。仙台はB1で予算が潤沢にあるとは言えないなかで、2023-24シーズンはエヴェッサよりもいい成績を残している。僕は西宮(現神戸ストークス)でプレーしていたころに仙台と対戦したこともあって、そのときに彼は見事なベンチワークを見せていました。選手を批判せずに守りながら、すごく熱くコーチングする姿勢がプレーしながらも伝わってきていました」

「エヴェッサに新しいカルチャーを作る。それには、彼しかいない」との、今野GM肝いりの人選だった。

前季のロスターから外国籍選手全員を入れ替えた。前長崎ヴェルカのマット・ボンズ、仙台で藤田HCのもとでプレーしていたヴォーディミル・ゲルン、ヨーロッパでキャリアを重ね、日本では初めてのプレーとなるライアン・ルーサーが入団。マルチプレーヤーのボンズ、前季にリーグ2位のリバウンドを獲得したゲルン、機動力のあるビッグマンで3Pシュートも高確率のルーサーと、バランスの取れた編成になった。

また前季は終盤まで活用できていなかった帰化・アジア特別枠の選手に、前季まで名古屋ダイヤモンドドルフィンズでプレーしていたレイ・パークスジュニアを獲得。前季のウィークポイントを的確に補った。

日本人選手は橋本拓哉、竹内譲次、合田怜、飯尾文哉、木下誠、鈴木達也のコアメンバーが残留。特別指定選手の髙木拓海がプロ契約に移行し、B2の福島ファイヤーボンズでプレーしていた土家大輝が新加入した。そしてこのシーズンの補強の大きな目玉となったのが、琉球に在籍していた牧隼利の獲得。

牧は琉球時代に藤田HCとともにプレーし、優勝経験もある。アンダー世代で代表入りし、フル代表の候補にも名を連ねてきた。ポイントガードとシューティングガードを兼ねるコンボガードだが、エヴェッサはハンドラーとしての活躍を期待した。

 

藤田HCが標榜したのは、エヴェッサ伝統の
“走るバスケ”の、いわば現代版

チームは暑い夏の盛りから始動した。藤田HCが持ち込んだのは、ガードが前線からボールホルダーに激しくプレッシャーをかけて相手の自由を奪い、ボールを奪ったら速攻に転じるスタイル。エヴェッサが伝統としてきた“走るバスケ”の、いわば現代版とも言えるもの。この時期に藤田HCは、新シーズンに目指す方向性について話した。

「戦い方の基本としては、オフェンスはまずしっかりとコート上のレーンを走り、ボールを前に飛ばして、ディフェンスがセットする前にアタックしたい。今季のチームの強みになるのはビッグマンの堅実さと、日本人選手のインテンシティだったり、オフェンスでいえばプレーメイク能力ですかね。セルフィッシュな外国人選手がいないので、しっかりチームでバスケットしてくれると思っています。それが大きなポイントのひとつ。それにプレーメイクできる日本人選手が多いと感じているので、5人でしっかりオフェンスできればと思ってます。そのうえでどんな状況になっても、諦めない姿勢を自分が率先して見せていきたい」

新たな指揮官が標榜する新しいバスケスタイルを染み込ませるため、チームはハードなトレーニングを繰り返した。実践で初のお披露目となったのは、9月8日にホームで行った横浜ビー・コルセアーズとのプレシーズンゲーム。82-76で勝利したと同時に、試合では随所に新しいスタイルの片鱗が現れ、来たるシーズンへの期待が高まった。

 

リーグ戦開幕直前に日本人エースの
橋本が負傷離脱する波乱の船出

ところがBリーグ開幕の前に、9月21日に行われた天皇杯2次ラウンドで橋本が負傷してしまう。右内側ハムストリング肉離れで全治4~6週間と診断され、開幕には間に合わなくなってしまった。

日本人スコアラーを書いて迎えた2024-25シーズンだったが、10月5・6日のアウェーでの滋賀レイクス戦、翌週にホームで行ったファイティングイーグルス名古屋まで、開幕4連勝と好スタートを切った。この時期に橋本の穴を埋めるべく、エヴェッサでプロデビューし、通算4シーズン在籍した相馬卓弥を緊急獲得。約2ヶ月と短い在籍期間だったこともあり、突出した数字は残せなかった。だがbjリーグ時代にルーキーだった選手がベテランになり、20周年の年に再び黒いユニフォームを身にまとった姿を見せたことは、旧来のブースターの胸を熱くさせた。

チームは開幕4連勝のあとは3連敗、2連勝を挟んで3連敗と成績が上下。さらに11月は橋本が復帰を果たしたものの、3連敗を含めて月間で2勝4敗と黒星が先行する。外国籍選手3人すべてが入れ替わり、前季までとは大きく戦い方が替わったこともあり、安定感を欠いていたことは否めなかった。

それでも12月は月間で6勝5敗と勝ち越して、持ち直す。そのなかでホームで千葉ジェッツから白星をもぎとるなど、上手く歯車が噛み合えば強豪とされるチームと対等以上に渡り合えることを証明した。目指す方向性に、間違いはなかった。

 

負の連鎖が次々と発生
合田が、橋本がチームを離脱する

チームが順調に骨子を固めつつあるなかで、想像だにしていなかったアクシデントが相次いでチームを襲った。10月26日のレバンガ北海道戦で負傷してインジュアリーリスト入りし、1ヶ月後に戦線復帰していた合田が12月15日の宇都宮ブレックス戦でまたも負傷し、全治6~8週間の診断を受ける。だが悲劇は、これにとどまらなかった。

1月12日にホームで行った群馬クレインサンダース戦で、橋本拓哉が右アキレス腱を断裂する。同個所の負傷は、これで3度目である。故障で開幕は出遅れたが、調子を上げてきた矢先のアクシデントは本人にとってはもちろんのこと、合田とともに主力選手を欠いてしまうチームにとっても大きな打撃だった。橋本の再離脱にともない、越谷アルファーズとの契約を解除し、自由交渉リストに入っていた松本礼太を1月31日に獲得。東海大出身の26歳は加入当初はプレータイムが得られなかったが、それでも努力を欠かさず、終盤戦では重要な場面で起用されるまでに至った。

またクラブの動きとしては、アリーナの課題によって難航していたB.PREMIERのライセンス取得が12月26日に正式決定。大阪府下で進んでいたアリーナの新設計画プロジェクトが諸般の事情で大幅に遅れる見込みとなり、現在のホームであるおおきにアリーナ舞洲の改修計画に切り替えて審査を通過した。bjリーグ開幕時のオリジナル6として草創期からプロバスケに携わってきたエヴェッサは、2026年からのBリーグ新時代にもトップカテゴリーで参戦することが決まった。

 

主力の日本人選手を欠きながらも奮闘
クラブ創設20周年は、次の時代への幕開け

チームは年明け以降、橋本の離脱によって日本人選手の得点力が下がったが、新加入したボンズ、ルーサー、ゲルンの外国籍選手がチームにフィット。大崩れすることはなく、勝率5割前後を保って戦い続けた。

しかし、さらなる悲劇が続く。今度はまたも、合田だった。12月の試合で右肩を負傷し、治療を経て一度は復帰したものの、3月末に同個所を再び負傷。全治6ヶ月と診断され、シーズン中の復帰は叶わなくなった。

 大事な終盤に主力選手ふたりを欠く厳しい状態になったが、チームは全員で戦う姿勢を崩さない。4月にはアルバルク東京を相手に、残り3秒で勝ち切る劇的な勝利を収めるなどで4連勝を飾る。またこの時期は、それまで出場機会が少なかった飯尾、土家の若手が主力の離脱もあってプレータイムが増加した。飯尾は課題であったディフェンス面で成長を見せ、土家も強気なゲームコントロールと勝負どころでの3Pシュートなど持ち味を発揮。ともに、来季以降への可能性を感じさせる働きをした。

結果的にそれはかなわなかったが、最終盤までチャンピオンシップ進出争いに食らい付いた。クラブ創設20周年のこのシーズンは、エヴェッサの新しい歴史のページを開いたものとして記憶されるだろう。
(文/カワサキマサシ)