MENU

大阪エヴェッサ

OSAKA
EVESSA

MENU
HOME > これまでの道のりで味わってきた 悔しい思い、それが彼を衝き動かせる──#8植松義也
 

これまでの道のりで味わってきた 悔しい思い、それが彼を衝き動かせる
──#8植松義也

数々の悔しさを塗り重ねて辿り着いたプロの世界
強豪チームで多くを学び、プロ選手の礎を築く



#8植松義也がバスケットボールを始めたのは少し遅く、小学校6年生。当時から175cmと高身長で、初心者ではあったがセンターポジションを任されて強豪チームの得点源になった。その後、学生時代はいくつもの華々しい実績を残している。中学はいわゆる普通の公立校だったが、中学2年生で神奈川県選抜に選ばれてジュニアオールスターで優勝。中学3年時には、自チームを関東大会ベスト8へと牽引した。高校は神奈川の強豪である桐光学園高に進み、3年時にインターハイでベスト8。そこから明治大学に進み、身近な先輩たちが次々とプロ選手になっていくのを間近で見て、自分もプロになりたいとの思いが強く芽生えてきた。

「3学年上の齋藤 拓実(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)さんはミニバスも同じで、横浜ビー・コルセアーズの須藤 昂矢さん、徳島ガンバロウズの綱井 勇介らとも大学時代が重なっているんです。それに同学年の渡辺翔太が、3年のときに仙台89ERSに特別指定選手で入団して活躍したのも刺激になりましたね」


自身も大学4年時に、ライジングゼファー福岡に特別指定選手として入団。しかしそこまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

「大学3年生のときに、B.DREAM PROJECTのトライアウトを受けたのですが上手くいかず……。その後は3年生と4年生のときに、三遠ネオフェニックスのトライアウトを受けたのですがそれもダメでした。自分で旅費を払ってホテルも取って受けたのに、なにも結果につながらなかった。あのときの悔しさが、今の自分のモチベーションにもなっていますね。絶対に、プロになってやる。その気持ちでいたので、福岡に決まったときは率直にうれしかったです」



翌2021-22シーズンに福岡とプロ契約を結ぶが、1シーズン限りで退団。次に、あの強豪チームから声がかかる。とはいえ、決して恵まれた条件ではなかった。

「琉球ゴールデンキングスの桶谷大ヘッドコーチ(HC)から『練習生だったら獲るよ』と、連絡があったんです。練習生だから、給料は出ない。それでもスクールでアルバイトしながらでも、なんとかしがみついて頑張ってやっていこうと決めました。そうして2022-23シーズンが10月に開幕して、11月末に選手契約が取れたんです。それから昨季まで合計3シーズン在籍したのですが、琉球では本当に多くのことを学びました。僕がいたころの明治大は大学バスケのすごい強豪だったわけではなかったし、福岡はB2のチーム。琉球は選手個々のレベルもやっているバスケットの質も高くて、それを毎シーズン積み重ねて作り上げたブレないカルチャーがある。これがBリーグのトップレベルで、優勝を目指してやっているチームなんだと身体で感じました。本当の意味で、プロバスケのすべてを学ばせてもらいましたね」


強豪チームゆえ、プレータイムを勝ち取るのは容易なことではない。実際に在籍3シーズンでもっとも1試合平均出場時間が長かったのは、2季目である2023-24の6分22秒。ほかの2シーズンは5分にも満たない。ただ相手にファウルをするためだけに、コートに送り出される悔しい思いも味わった。

「琉球に限らずどこもそうでしょうが、少ないプレータイムでなにをするか。なにを求められて試合に出されているかを理解して、それをコートで表現できないと安定してプレータイムがもらえません。琉球は、その求められるレベルが高い。チームは在籍した3シーズンすべてでファイナルまで進みましたが、そこで自分はコートでまったくなにもできなかった。ずっとベンチや、あるいはベンチ外で見ていて、悔しい気持ちを抱えていましたね」






 
琉球で得た学びは成長するための栄養素に、味わった悔しさは自身を前進させる推進剤になる。プロ選手としてさまざまな経験を重ねた琉球での3シーズンに区切りをつけ、植松は今季からエヴェッサの一員となった。

「実は今季も琉球で頑張ろうと思っていたのですが、そんなときにエヴェッサからオファーが届きました。藤田弘輝HCとは僕が琉球で練習生だったころに少し関わったことがあって、熱い情熱のある人だなと思っていたんです。選手にもそういうことを求め、僕の役割を理解してくれる人がHCを務めているチームからオファーをいただいて、考えが変わりました。琉球に残って、またベンチ外やベンチに座っているだけになるのなら、ここは自分のターニングポイントかもしれない。少しの時間でも毎試合出続けることは、これまでの自分のプロキャリアのなかでありませんでした。エヴェッサに行って試合に出続けられるようになれば、自分の成長につながる。そう思って、大阪に行くことを決めました」





シーズン開幕戦からおよそ9分のプレータイムを獲得し、ここまで15試合中8試合に出場。周囲から見れば小さなものかもしれないが、彼は自身にとって大きな一歩を踏み出した。

「バスケ選手はみんな試合のビデオを見るでしょうし、僕も意識して試合を見ます。だけどこれまでは、自分が出ていない試合を見ることが多かった。たとえ5分でも自分のプレーが見られれば、『あそこは、もっとこうしたらいい』とか『あそこのディフェンスは、もっとこうすれば相手が嫌がる』などと、次につながるものが得られるんですよ。自分のなかでこういう刺激はこれまでになかったので、すごくいい経験になっています」





プロキャリアは、今季が5シーズン目。自身の成長を自らで実感しているかと問うと、謙遜ではなく、こんな本音の言葉が返ってきた。

「いやー正直、上手くなっている実感はないです。自分は下手くそだなと、ずーっと思っていますよ。思ったようにプレーできなくて、自分に対してもどかしいというか、悔しい思いもよくします。バスケが上手くなりたい。ずっとずっとそう思って、今ここまで来ています。どんなことにももっと積極的にチャレンジしていって、自分の成長につなげていきたい。そう思っています」


コートに立てば、たとえ少ない時間でも身体を張ったプレーで流れを呼び込み、チームのエナジーを高めるのが彼の仕事のひとつ。貪欲に自らのステップアップを追い求める26歳は、成長期真っただ中にいる。




取材/文 カワサキマサシ
(2025.11.12 琉球ゴールデンキングス戦 ゲームデープログラム掲載)